初めまして

米田真希子です

あなたに出会えて嬉しいです!​

幼少期〜退職

【ピアノ馬鹿の挫折と自分探し】

クラシックのピアニストになる!と4歳からピアノ命で熱があっても修学旅行中もピアノをやっているような子供。

東京芸術大学附属高校/大学に行こうとするも、先生と全く折が合わずお金と時間だけを無駄に。

高2のピティナ(日本のクラシックピアノ2大コンクールの1つ)で一流の先生につかないで受験し、どこまで自分の実力があるかを試したが予選落ち。

それを機にピアノはきっぱりやめ、国際関係を学ぶべく筑波大学、名古屋大学大学院へ。

大学院にてブラジルとジャズに出会い、サンバダンサーをやりながら外資系総合職として就職。

人事、品質保証、宣伝部と5年間働き、このまま人生は終わりたくないと感じた2003年に退職。

周りは猛反対。

ずっと「私のミッションは何だ?」を考え続けていた。

移住〜日本音楽活動期

【突然のミュージシャン転身】

世界の縮図NYで気になる事を全て試し、社会主義体験、パーカッション、ダンスを学びにキューバへ。

キューバの国立舞踊団でダンスを学んだお陰で生粋のプロダンサーたちを知り、私はプロでは無理!と納得。

ブラジルはサンバダンスを極めるために行く予定だったが、キューバでプロは断念済み。

ある日「本当はミュージシャンになりたかった」と気づき猛勉強開始。

音楽学校に入るも歌わせてもらえないなど若干の差別を感じながらカーニバル到来。母も来た為一旦勉強終了。

母と遊びに行った音楽的にも有名な北東部の街レシフェでのトップミュージシャン(日本でいう所の桑田佳祐)との出会いがきっかけで、その街でブラジル音楽を学ぶことを決定。

日本でビザを再度取得し、ブラジルへ戻り、1年半音楽と言語を独学。

周りは前にも増して猛反対。

日本帰国後演奏活動開始。NHKやモーションブルー横浜、5つ星ホテルでの演奏など、非常に恵まれた音楽環境だったが、いつも演奏するのは楽しくなく。

「正しく演奏」しなければ!と思っていたので、人並みにスケールをひたすら覚えて、間違えずに弾く事を目指していた。

感情を入れて演奏するなんて、恥ずかしくてできず、いつも気持ちを押し殺して音楽を演奏していた。

演奏は楽しいはずなのに、自分の音楽がわからず、どうして良いのかわからず、ビクビクしながら、いつも辛かった。

そんな中カリフォルニアで行われているCalifornia Brazil Campに参加。

日本で私が演奏していたブラジル音楽とは全く違うブラジル音楽に触れる機会を得て、「ブラジル音楽という山を見てしまったからには、登れる所まで登ろう!」と心に決め、さらなる音楽的向上を目指してブラジルへの単身渡伯を決意。

音楽的要因以外にも、日本の文化に自分自身の居場所が感じられないことも一つの大きな要因。

プロミュージシャンとして2度目の単身渡伯

〜ブラジル活動時代〜

【音楽的転換期:成功と挫折】

今度の拠点は大都市サンパウロ。

頼れる人がなく、ホステルからの生活開始。

縁あり音楽学校でピアノを教え始め、その後のピアノの恩師となる人に出会え、音楽に対する価値観が180度転換。

「私が教えることは、真希子の中の余計な事を取り除くこと!」

「あなたの中に既に音楽はあるのよ。貴方は十分知っている事を分かって!」

いつも私の恩師はいつもそう言っていて、私が心から表現できる音楽作り、音楽演奏の後押しを全力でしてくれた。

もっとブラジル人たちと演奏したい!と渡伯したが、(特別な人がするものだと思っていた)作曲を開始したり、自分のトリオ結成など、一人のミュージシャンとして全く想像もしない方へと向かって行く。

それでも、最初の2年間はブラジル人たちにどう思われるのかが怖く、自分に自信がなく、ずっと家だけで練習(笑)。

でも、このままじゃ、死ぬまで人前で演奏しないじゃないか!!と思い、鍵盤ハーモニカを持参して外へ行き、多くの人たちと演奏するようになっていく。

その後は「止まらなくなったおもちゃ」と言われる位、色々な人たちのライブに飛び入りさせてもらったり、一緒に演奏する機会が増える中で、ショーロ(ブラジル音楽のジャンルの一つ)奏者としてサンパウロを代表する活動をさせてもらうようになる。

その後、ピアニストとして参加したCDがブラジルにて発売されたCD「ベスト10入り」。音楽プロジェクトにも100近く参加。

ある程度ブラジル音楽業界でもピアニストとして認められるようになって行ったが、ミュージシャンとしての知名度を一気にあげたのはオリジナルCD「ブラジレイリズモ」。

詐欺にあいながらも6回のトリオメンバー変更、7年越しで完成させたオリジナルアルバムがブラジルで製作された全CDの「ベスト50入り」。

その発売ライブをブラジル最高峰の舞台で行うなど今までの音楽人生絶頂期が到来(多分オリジナル曲でのリーダーライブをした人は日本人で初めて)。

しかし同時に長年抱えていた腱鞘炎でのドクターストップ、仕事上での数々のトラブルなどに見舞われる。

その時出会ったのがアレクサンダーテクニックや禅、マインドフルネス、ヨガなど。

藁をもすがる思いで自らをリセット。

アレクサンダーテクニックとの出会い

〜トルコへの移住へ〜

【苦悩そして新しい展開】

自分自身を見直していく過程で、他人に認められるために自分を追い込んでいっていたことに気づく。

「私は自分の勝手で日本を離れ、愛猫も預け、両親に心配をかけているんだ。私は幸せになってはいけない」と本気で思っていたこと、

「自分はこれだけ出来てる!ってアピールしなきゃ!」

「一回ブラジルの音楽業界から認められたのだもの。次はもっと良いものを作らなきゃ!」という「予期する事なく突然ブラジルで評価されたプレッシャーに押しつぶされそうだった自分」に気づいた。

ブラジル音楽は心の底から、体の芯から好きだし、本当に楽しかったけれども。

でも、気づいたからといって、すんなり自分の弱さを認められたわけではなかった。

アレクサンダーテクニックに出会ってから数ヶ月経った時に「教師養成2年コース」が開始される事を知ったが、「これを始めたら自分はプロとして負ける。痛みで苦しんでいて、音楽以外のことをやるプロミュージシャンなんて、私は認めない!」みたいなプライドが強くて、そのコースに入るかどうか、最後まで悩み続けた。

「痛くて弾きたくない」のか、「もうピアノなんて嫌だ」と感じて、弾きたいと思わないのかもよくわからず、「弾かなきゃいけないけど、痛いし」「前のような情熱が感じられない、どうしよう、、」そんな風に感じる日が続いた。

プロとして新しい作品や演奏映像をファンに届けられない自分が情けなかったり、同僚たちが輝いているのが羨ましかったり、そんな風に感じてる自分を責めたりしていた。

でも、アレクサンダーテクニックを続ける事で、そんな自分に沸き起こってくる感情をどう捉えたらいいか、たまに痛くなってくる体についてどう扱ってあげたらいいのか、理解できるようになって来た。

特にコロナが始まってからは、気分がものすごく左右される時期もあり、そんな時の自分の守り方も知った。

また、自分の気持ちに正直に生きることができ始め、それまで人生に唯一存在していた「ブラジル音楽とブラジル音楽のための生活」も変わっていき、旅行をしたり、友人とご飯を食べたりという時間も設けるようになっていった。

それまでは全てが音楽だけの人生だったので、旅行もないし音楽のない時間なんて、ほんの少しすら考えられなかった。

昨年2月末、コロナが始まった頃にイスタンブール経由でインドのヨガフェスに参加するためにインドに到着したが、インド国内には入れず。

イスタンブールへの帰還を余儀なくされ、10日ほどインドへの入国とチケット問題などの解決を試みたが出来ず、ブラジルへ帰国。



その時出会った彼と5ヶ月遠距離恋愛。同8月に彼と新しい人生を始めるためにトルコへ愛ネコと移住。

 

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今思えば、もし、私がアレクサンダーテクニックをしていなかったら、ブラジルから出ることはなかったと思います。

その前に、ピアノを今の様にもう一度弾けることもなかったはずだけど。。

アレクサンダーテクニックで自分の気持ちと時間をかけて理解し、「私がしたいことは何か?」を誰かのためではなく、私のためにしっかりと考えられたことが、私にブラジルから離れて、新しいことも始められる勇気を与えてくれたと思っています。

ブラジルは今でも大好きな場所です。ブラジル音楽もやっぱり世界で一番好きです。

でも、もう、依存じゃなくて大丈夫。

不幸せな自分が掴んでいなければいけないものではなく、自分の中で前よりもバランスよく、愛おしく存在しています。

そして今、私にたくさんのことを教えてくれて、助けてくれたアレクサンダーテクニックを他の人に伝えることで、

一人で悩んだり、出来ないことに悶々したり、間違った問題に悩んだり、痛みを「当たり前」って諦めて演奏していたり、

もっと音楽を楽しく演奏したいな、自分らしく表現したいなと思っているけどその手段にまだ出会えていない音楽愛好家や、

痛みに困っているけど休めないかったり、痛み回復後のメンタルケアなどを通してプロミュージシャンのサポートをしていきたいし、

音楽とは関係なくても、自分らしく生きたい!と感じている女性たちの応援もしていきたいです。

常に発展途中の私です。

感謝の気持ちを忘れず、学び続けていきたいと思っています。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2021年12月12日 イスタンブールにて

米田真希子

ブラジルで製作されたドキュメンタリー

公式メーキングビデオ